少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

塚原問答(つかはらもんどう)(1272(ねん)/51(さい)/文永九年(ぶんえいくねん)


 大聖人樣(だいしょうにんさま)(まも)ろうとする(ひと)たちも()えて()一方(いっぽう)律宗(りっしゅう)僧持斉(そうじさい)(はじ)念仏僧(ねんぶつそう)唯阿弥陀仏印性房(ゆいあみだぶついんしょうぼう)らは数百人(すうひゃくにん)(ひと)たちを(あつ)めて、領主(りょうしゅ)守護職(しゅごしょく)本間重連(ほんましげつら)に「大聖人(だいしょうにん)襲撃(しゅうげき)して(ころ)すように」と(せま)りました。しかし鎌倉幕府(かまくらばくふ)通達(つうたつ)で、(おおやけ)危害(きがい)(くわ)えることはできず思案(しあん)結果(けっか)法門(ほうもん)による決着(けっちゃく)」をうながしました。そして一月十六日塚原(いちがつじゅうろくにちつかはら)他宗(たしゅう)僧侶(そうりょ)信者(しんと)たちが(あつ)まり「塚原問答(つかはらもんどう)」がはじまりました。だがあっけない念仏僧(ねんぶつそう)たちの敗退(はいたい)で、(まく)()じる結果(けっか)になりました。そして(おお)くの信徒(しんと)たちが大聖人様(だいしょうにんさま)説法(せっぽう)敬服(けいふく)して、入信(にゅうしん)する()()けとなってしまったのです。その()塚原問答(つかはらもんどう)」に参加(さんか)した最蓮房日浄(さいれんぼうにちじょう)大聖人様(だいしょうにんさま)のお弟子(でし)()わりました。

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