平成17年9月1日発行 高照山 第213号

 
上野殿御返事


 「今年は正月より日々に雨ふり、ことに七月より大雨ひまなし。このところは山中なる上、南は波木井河、北は早河、東は富士河、西は深山なれば、長雨・大雨、時々日々につゞく間、山さけて谷をうづみ、石ながれて道をふせぐ。河たけ舟わたらず。富人なくして五穀ともし。商人なくして人あつまる事なし。七月なんどはしほ一升をぜに百、しほ五合を麦一斗にかへ候ひしが、今はぜんたいしほなし。何を以てかかうべき。みそもたえぬ。小児のちをしのぶがごとし。かゝるところにこのしほを一駄給びて候。御志、大地よりもあつく虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからず」(御書1271n)


通釈
 今年は正月から毎日のように雨が降り、ことに七月よりは大雨がひまなく降り続いている。此の所は山中である上に、南には波木井河、北には早河、東には富士河が流れ、西は深い山であるから、長雨や大雨が日々に重なって続くと、山が裂けて谷を埋め、大石が流れて道をふさぐことがある。その上に河は急流であるから舟は渡ることが出来ない。富豪の人がいないから草庵の五穀も乏しい。商人がいないから人が集まることがない。それゆえに七月などは塩一升を銭百文、塩五合を麦一斗に換えたが、今はその塩も全くなくなった。何をもって食料に換えることが出来ようか。味噌もなくなってしまった。ちょうど赤ん坊が母親の乳を慕うようであった。そういう時に、この塩一駄を贈られた御志は大地よりも厚く虚空よりも広い。到底、私の言葉では述べ難いほどである。

解説(代講 中本法一)
  ただ今は皆様方と共に一日の唱題行を勤めさせていただき、謹んで折伏成就の御祈念を申し上げた次第でございます。
本日は御住職と執事様が大石寺の方に御出張なされておりますので、私が代理をさせていただきます。
  ただ今、皆様方と一緒に拝読いたしました御文は、大聖人様が身延の御草庵にお住まいになっておられた、弘安元年9月15日、御年57歳の時に、上野殿すなわち南条時光殿から、塩一駄を御供養として送られたことに対するお礼のお手紙の一節でございます。この御書は別名『塩一駄御書』とも言われております。
  「一駄」というのは、馬一頭に乗せられるだけの量の荷物のことですが、馬の背の左右に振り分けて積んだ米二俵などのことを一駄という場合もあります。
  この御書は、当時の大聖人様が身延の草庵において、食べ物も乏しく、困窮されている実情というものが表されております。ここにも述べられているように、身延山は、南に波木井河、北に早河、東に富士河が流れ、西は深い山であり、四方が囲まれた地形になっているのであります。さらに大雨・長雨が続くと、河は荒れて、山は土砂崩れが起きてもおかしくない有様になるので、長く人が近づけない状態になるのであります。そういう状況のなかで、さらに、この弘安元年という年は、われわれが主食としている「五穀」いわゆる米・麦・粟・豆・黍 または稗が不作で、食べる物に困った状態になったのであります。 同年の『食物三徳御書』には、
「山の中には塩をたからとす」(御書1321n)とあり、塩が貴重であったことがわかります。
  また同年7月8日の『時光殿御返事』にも、
「なかにも今年は疫病と申し、飢渇と申し、とひくる人々もすくなし。たとひやまひなくとも飢えて死なん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶらひ金にもすぎ、珠にもこえたり」(御書1247n)とも仰せられております。
  弘安元年は、全国的に疫病が流行し、そのうえ飢饉の苦しみに見舞われたのであります。そういう状況のなか、塩などを御供養申し上げた南条時光殿の所領は、富士山麓の上野郷で、海岸線はないのですから塩は産出しません。そういう入手困難なところを、高価な塩を一駄送られたわけですから、大聖人様をお慕いする信心がいかに深く強かったかがわかるのであります。
  そこで、大聖人様は、上野殿の真心をお褒めになり、また、末法万年の衆生を救済し、世界に妙法を広宣流布するために、三大秘法の大仏法を建立あそばされたのであります。さらに多くのお弟子を養育され、たくさんの御信徒を励まし、教導に邁進なされました。なんとも有り難いことでございます。
現在の日本は科学の発展の恩恵に浴し、また物資が溢れている状況で、とても恵まれた裕福な環境にあると言えます。しかし、世界中のどこでも、全部の人が裕福であるとは言えません。
  昨年から世界の各地で、大地震、また大規模の台風、さらにテロによる目も当てられないような惨状等が相次いでおります。こういった災害の時には、必ず交通の便が断たれ、大勢の人が住居を失い、また食べ物等に困る状況に陥るわけでございます。もし、こういった状況になった時には、われわれは信心を奮い立たせて、さらなる信仰修行に励んでいかなければなりません。
  まさに、この御文にお書きになられているように、大聖人様が困窮のなかにおいても少しも屈することなく、悠然と教導に邁進されたように、われわれもまた、信心に対する心構えを、ますます強く持っていかなくてはならないのであります。
  どんな状況下に置かれても、「一心欲見仏 不自惜身命」の精神で邁進していただきたいということを申し上げて、私の話とさせていただきます。本日は暑いなか、遅くまでの御参詣まことに有り難うございました。(平成17年8月1日 広布祈念唱題会において)

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